「闘い済んで日が暮れて」 ~さよならウイルス~

〇C型肝炎治療で長年闘病をされた後、最新のC肝経口新薬(ダクラタスビル・アスナプレビル)により完治された辻野弥生(当会会員)さんからその体験記を寄稿頂きました。極めて印象的な随筆であり、治療中の皆様、治療を検討されている皆様に大いに参考になりますので掲載する次第です。

〇幅広い閲覧者に理解して頂くため、注目文言は太字に、薬剤などの特殊用語には当会で脚注を付けさせて頂きました。ご感想、ご意見などございましたら、tlc.office@chiba-kantomo 、047-460-7055 へお願い致します。

【千葉肝臓友会】



投稿者 辻野弥生

「はい、大きく息を吸って止めて下さーい」
検査技師の声が室内にこだまする。生まれてこの方、病気と縁がきれることのなかった私は、これまで何度息を止めたり吸ったりしてきたことだろう。どんなにつらくても、これら医学の恩恵で命をつないできたのだから、不服は言えない。自分の人生をボクシングに例えるならば、いま何ラウンド目かなと、ふと思う。あわやノックアウト寸前までいったと思えることが何度かあったものの、気がつけば早や古希を過ぎていた。

この世の光を浴びた瞬間から、私には過酷な運命が待っていた。唇や爪が黒ずんでいて、泣いてばかりいることに疑念を抱いた両親は、医師の診断を仰いだ。「気の毒ですが、この子は育ちませんなぁ」。 遺伝子の連なりの果てに、なんと四か所も不具合のある心臓が私の胸に埋め込まれたというのである。四番目にやっと娘を授かったうれしさに、写真まで配ったという両親の衝撃はいかばかりであったか。

以来、生きてほしいという家族の願いのもと、身体にいいといわれるものをいろいろ食べさせられた。食べさせられたなどというと罰が当たりそうだが、父は会社の帰りによくレバーを買ってきた。祖母は早起きして毎朝ニンジンのしぼり汁を作ってくれた。ジューサーなどない時代のこと、すりおろしてガーゼでしぼって湯呑一杯つくるのに、大変な時間と労力を要した。通学は、父の自転車や母の背中におぶわれて通った。それやこれやのおかげで、十九歳までどうにか生き延びた私は、郷里の久留米大学で、血管の操作によって心臓の負担を軽くする、ブレロック式という手術をうけた。これは根本的に治すものではなく、言ってみれば延命のための手術であった。

医学の進歩で、三十一歳のとき、ようやく根治手術を受けることができた。当時は新鮮血といって、採りたての血液を輸血するのが最良とされていた。そのため、手術前の検査と手術当日と、二度も夫の学校の先輩、同級生、後輩が大勢足を運んでくださった。当時は、A型とB型の肝炎ウイルス以外のC型は正体不明で、非A型、非B型と呼ばれていた。その正体のわからないC型のウイルスが、善意の血液のなかに混じっていたらしく、手術から二十年あまりも経って、感染が判明した。

いまいましいウイルスはいったいどんな貌をして肝臓内に潜んでいたのか。当時タウン誌に連載記事を書いていた私は、執筆を辞退するほどうろたえたものである。 やがてじわじわと肝機能の数値が悪化し、専門医を紹介され、さっそく入院となった。そのころ最良の治療法とされていたインターフェロン*¹というリングの上で、いよいよ闘うことになった。

「赤コーナー、弥生さん、青コーナー、ウイルスくん、GO!」

最初は意気揚々と登場した弥生さんだったが、ラウンドを重ねるごとに弱って、ダウン寸前で、自分からタオルを投げた。副作用で食欲はなくなり、目の前にどんな好物を置かれても箸が動かず、口にいれても咀嚼する気力も湧かなかった。やがて、発熱、めまい、便秘、口内炎の親玉のようなものが口中にでき、夜も眠れず、ついにお得意のうつ状態になり、体重は三十一キロまで減ってしまった。これ以上続けると、自分が壊れてしまいそうに思えた。「先生、もう無理です。治療から降ります」「そうですね、辻野さんにはちょっと酷でしたね。では、週三回少量ずつ自分で注射を打つ方法*²に変えましょう」というわけで、自宅で、液体と薬をその都度まぜて、腕、お腹、太ももに打つことになった。これも微熱が出たりして、けっこうストレスになった。しかし、「もう少し頑張っていれば、副作用の少ない飲み薬ができますから」という先生の言葉に励まされ、運よくがんにもならず。新薬にたどり着いた。

平成二十六年九月、さっそく入院して処方を受け始めた。ダクルインザ*³、スンベプラ*⁴という奇妙で愛嬌のある名前の二剤を二十四週飲むことになった。早くも八週目からウイルスが検出されなくなり、長く巣食っていたウイルスとついにさよならできたのである。

喜びを込めた私の経験談が新聞に採用されると、遠く関西方面からも新聞社を通して手紙や問い合わせがきた。お役に立てれば、少しでもお返しがしたいと思っている。何度も入院し、治療に明け暮れている間に季節がめぐり、庭の風景も一変し、まるで浦島太郎の感覚に陥ることがある。闘い済んで我に返ってみれば、世の中に塩麹なるものが流行っていたことも。

ああ、私はまぎれもなく生きているのだ

(おわり)

【脚注】
*¹:ウイルスを駆除する為の標準抗ウイルス薬
*²:肝炎進行を抑える為の少量長期インターフェロン療法
*³:経口新薬ダクラタスビルの商品名(アスナプレビルと併用する)
*⁴:経口新薬アスナプレビルの商品名(ダクラタスビルと併用する)

〇C型肝炎治療で長年闘病をされた後、最新のC肝経口新薬(ダクラタスビル・アスナプレビル)により完治された辻野弥生(当会会員)さんからその体験記を寄稿頂きました。極めて印象的な随筆であり、治療中の皆様、治療を検討されている皆様に大いに参考になりますので掲載する次第です。

〇幅広い閲覧者に理解して頂くため、注目文言は太字に、薬剤などの特殊用語には当会で脚注を付けさせて頂きました。ご感想、ご意見などございましたら、tlc.office@chiba-kantomo 、047-460-7055 へお願い致します。

【千葉肝臓友会】



投稿者 辻野弥生

「はい、大きく息を吸って止めて下さーい」
検査技師の声が室内にこだまする。生まれてこの方、病気と縁がきれることのなかった私は、これまで何度息を止めたり吸ったりしてきたことだろう。どんなにつらくても、これら医学の恩恵で命をつないできたのだから、不服は言えない。自分の人生をボクシングに例えるならば、いま何ラウンド目かなと、ふと思う。あわやノックアウト寸前までいったと思えることが何度かあったものの、気がつけば早や古希を過ぎていた。

この世の光を浴びた瞬間から、私には過酷な運命が待っていた。唇や爪が黒ずんでいて、泣いてばかりいることに疑念を抱いた両親は、医師の診断を仰いだ。「気の毒ですが、この子は育ちませんなぁ」。 遺伝子の連なりの果てに、なんと四か所も不具合のある心臓が私の胸に埋め込まれたというのである。四番目にやっと娘を授かったうれしさに、写真まで配ったという両親の衝撃はいかばかりであったか。

以来、生きてほしいという家族の願いのもと、身体にいいといわれるものをいろいろ食べさせられた。食べさせられたなどというと罰が当たりそうだが、父は会社の帰りによくレバーを買ってきた。祖母は早起きして毎朝ニンジンのしぼり汁を作ってくれた。ジューサーなどない時代のこと、すりおろしてガーゼでしぼって湯呑一杯つくるのに、大変な時間と労力を要した。通学は、父の自転車や母の背中におぶわれて通った。それやこれやのおかげで、十九歳までどうにか生き延びた私は、郷里の久留米大学で、血管の操作によって心臓の負担を軽くする、ブレロック式という手術をうけた。これは根本的に治すものではなく、言ってみれば延命のための手術であった。

医学の進歩で、三十一歳のとき、ようやく根治手術を受けることができた。当時は新鮮血といって、採りたての血液を輸血するのが最良とされていた。そのため、手術前の検査と手術当日と、二度も夫の学校の先輩、同級生、後輩が大勢足を運んでくださった。当時は、A型とB型の肝炎ウイルス以外のC型は正体不明で、非A型、非B型と呼ばれていた。その正体のわからないC型のウイルスが、善意の血液のなかに混じっていたらしく、手術から二十年あまりも経って、感染が判明した。

いまいましいウイルスはいったいどんな貌をして肝臓内に潜んでいたのか。当時タウン誌に連載記事を書いていた私は、執筆を辞退するほどうろたえたものである。 やがてじわじわと肝機能の数値が悪化し、専門医を紹介され、さっそく入院となった。そのころ最良の治療法とされていたインターフェロン*¹というリングの上で、いよいよ闘うことになった。

「赤コーナー、弥生さん、青コーナー、ウイルスくん、GO!」

最初は意気揚々と登場した弥生さんだったが、ラウンドを重ねるごとに弱って、ダウン寸前で、自分からタオルを投げた。副作用で食欲はなくなり、目の前にどんな好物を置かれても箸が動かず、口にいれても咀嚼する気力も湧かなかった。やがて、発熱、めまい、便秘、口内炎の親玉のようなものが口中にでき、夜も眠れず、ついにお得意のうつ状態になり、体重は三十一キロまで減ってしまった。これ以上続けると、自分が壊れてしまいそうに思えた。「先生、もう無理です。治療から降ります」「そうですね、辻野さんにはちょっと酷でしたね。では、週三回少量ずつ自分で注射を打つ方法*²に変えましょう」というわけで、自宅で、液体と薬をその都度まぜて、腕、お腹、太ももに打つことになった。これも微熱が出たりして、けっこうストレスになった。しかし、「もう少し頑張っていれば、副作用の少ない飲み薬ができますから」という先生の言葉に励まされ、運よくがんにもならず。新薬にたどり着いた。

平成二十六年九月、さっそく入院して処方を受け始めた。ダクルインザ*³、スンベプラ*⁴という奇妙で愛嬌のある名前の二剤を二十四週飲むことになった。早くも八週目からウイルスが検出されなくなり、長く巣食っていたウイルスとついにさよならできたのである。

喜びを込めた私の経験談が新聞に採用されると、遠く関西方面からも新聞社を通して手紙や問い合わせがきた。お役に立てれば、少しでもお返しがしたいと思っている。何度も入院し、治療に明け暮れている間に季節がめぐり、庭の風景も一変し、まるで浦島太郎の感覚に陥ることがある。闘い済んで我に返ってみれば、世の中に塩麹なるものが流行っていたことも。

ああ、私はまぎれもなく生きているのだ

(おわり)

【脚注】
*¹:ウイルスを駆除する為の標準抗ウイルス薬
*²:肝炎進行を抑える為の少量長期インターフェロン療法
*³:経口新薬ダクラタスビルの商品名(アスナプレビルと併用する)
*⁴:経口新薬アスナプレビルの商品名(ダクラタスビルと併用する)

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