肝臓病体験記・皆さんの声

New!「肝がん闘病10年・患者を生きる」 ~四度肝がんに見舞われ、いろいろな最新治療で救われる~

千葉臓友の会 篠田 省輔(肝炎コーディネータ)

目次

【闘病10年を振り返って】 

私は、四度の肝がんの体験者です。私が最初に肝がんに見舞われたのは、約10年前、2006年秋でした。その後、これを含め、この10年で肝がんを4度体験しました。最初のがんは外科手術で切除、2年後の2度目はラジオ波焼灼、さらに2年後の3度目は、先進治療の重粒子線治療を受けました。それから5年置いて、4度目は、2015年末に、忘れかけた頃に発症し、又、ラジオ波焼灼治療を行いました。

私のようなウイルス性肝炎に起因する肝がんは、複数回の異所再発は珍しくなく、むしろ典型的のようです。しかし、不幸中の幸いでありまして、いずれも、早期発見でき、早期治療ができましたので、その都度、最新の治療により救われ、何とか今日まで過ごしてきました。根本の原因であるC型肝炎ウイルスは抗ウイルス療法(当時のインターフェロン・リバビリン治療)により駆除できておりますが、今後も再発のリスクはあると言われております。今後何が起こるかは、全く予断はできません。現在も、この病気の性質に鑑みて、3カ月ごとにCT検査などの経過観察検査は欠かせません。

この間多くの主治医の先生方、セカンドオピニオンを頂いた先生方、看護師さんに、数えきれないほどお世話になりました。また、患者会の皆さんからは、大変温かい励ましの言葉や助言など頂きまして、勇気付けられました。それを思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。私の今日あるのは、医学の進歩と医師の先生方はじめ多くの方々のお世話やご支援のおかげであると、しみじみ思っております。この席を借りまして厚く御礼申し上げる次第です。

四度の肝がんは経験しましたが、いまのところ、何とか日常生活に不自由はなく、恩返しのつもりで、同病の方々のお役に立ちたいと千葉肝臓友の会で、ボランティア活動を続けております。千葉県肝炎コーディネータとして、肝炎・肝がんの患者さんの相談やメール相談に応じております。患者会では、主に会報の編集やホームページの運営を担当しております。いつまで続けられるか分かりませんが、体調の許す限り、微力ですが、いささかでも、肝臓病の患者さんへのサポートの役割を果たせたら幸いと思っております。

【C型肝炎由来の肝がんとは】
根源はウイルス感染、慢性肝炎を経て、肝硬変や肝がんへ。

肝がんの原因肝がんの予備知識として、肝炎・肝がんとはどんな病気かをかいつまんで述べます。このグラフは、日本肝癌研究会の統計(図1)結果です。肝がんとはどうして発症するのか、他のがんとかなり違うところがあり、予め発症が予想される方がたくさんおられるわけです。ここに示されている様に、私のような肝がん発症者を調べますと、約65%がC型肝炎患者なのです。B型を含めますと、80%です。8割の肝細胞がん患者は、このような肝炎患者か、肝炎既往患者で占められています。

C型肝炎の自然経過又、C型肝炎の自然経過については、このイラスト(図2)のように、ウイルス感染に感染すると、約7割の人が慢性肝炎になり、長年の肝炎を経て、肝硬変や肝がんへ向かうと言われています。

【C型肝炎からついに肝がんへ】
慢性肝炎を経て、肝がんを発症、その後、根源を除くべく、抗ウイルス治療により、ウイルスは排除したが、その後も、肝がんの異所再発は続く。

そもそも、私が会社の定期検診で肝機能検査値(ALT)が高いと云われたのは、1985年のことであり、当時は原因不明で、非A非B肝炎と云われました。その後1989年に米国でC型肝炎ウイルスが発見されC型肝炎と分かりました。はじめの頃は肝炎について情報も少なく、仕事の忙しさに紛れ、充分治療に手がまわらなかったのですが、2006年末に初回の肝がんを発症し、手術後、発がんの基本原因を除くべく、当時最新のペグインターフェロン・リバビリン療法を開始したのですが、紆余曲折があり、2009年年央ごろにやっとウイルスを排除することができました。

しかしながら、冒頭に述べましたように、ウイルスが消えた後も、さらに2度の肝がんを発症しました。このように肝臓の細胞組織が長年の肝炎を経て、肝がんの発症しやすい母体となっており、ウイルスが消えても、肝がんが別のところにも再発しやすいのです。これは、いわゆる転移ではなく、異所再発と云われています。

【4度の肝がん発症と夫々の治療経過】
初回は手術、2度目はラジオ波焼灼、3度目は重粒子線治療を施療。5年後に4度目の肝がん発症し、再度、ラジオ波焼灼治療を受け、経過観察を続けている。

〔初回肝がんの発症と外科切除治療〕

挿入画 闘病10年・患者を生きる_3初回の肝がんの発症の際、先生から肝がんを告知された時は、正直ショックを受けました。しかし、一方、先に述べた肝炎の背景があるものですから、とうとうやってきたかという思いもありました。早速に治療をしようということで、当時、話題になっていたラジオ波焼灼治療が体に優しいと聞きまして、複数の専門医の先生にセカンドオピニオンを色々お聞きしましたが、その時の私の場合は外科手術の方がよいとの意見でした。
つまり、それはがんが肝臓の左葉の裏側(S2部位,1.8㎝径)で、他の臓器が接近しており、しかも表面に少し突出しているので、がんは小さいから処置はしやすいのだが、ラジオ波焼灼には場所的に難しい、三人の先生から同じことを言われました。また、ラジオ波焼灼は話題にはなっていましたが、当時は普及途上の治療法で、病院によって格差があり、リスクはなくはないとの報道もありまして、外科手術の身体負担を心配しながらも、納得して外科手術を選択しました。 この初回肝がんの治療の要点は、図3を参照ください。

〔2度目の治療・ラジオ波焼灼治療〕

挿入画 闘病10年・患者を生きる_42度目は経過観察中のCT検査で分り、2008年秋のことでした。今度は右葉真ん中辺(S8部位、1.5㎝径)だということで、小径であるし、穿刺し易い位置なので、ラジオ波焼灼治療には最適ということで、また、この治療法は、その後多くの病院で普及して来ましたので、この療法を選択しました。(図4)

私の体験では、二つの治療を比べて言えますことは、体に対するダメージは、手術の方が厳しく、術後2~3箇月は胃腸不調などで苦しい思いをし、体調の回復には半年位かかりました。ラジオ波焼灼の方は、施療直後は発熱で大変困りましたし、その後結石痛や、胆石痛を誘発(?)したこともありましたが、1箇月以内に治まって、かなり体へのダメージは少ないと感じました。

いずれにしても、この2度の肝がん発症は早期に発見できたこともあり、お蔭さまでそれぞれ治癒し、恙無く過ごしていました。その後、ウイルスが消えたこともあり、肝がんの発症確率は減るであろうと、再発がないことを祈りながら過ごしていたのですが、残念ながら、2011年年央に3度目の肝がんが発症してしまいました。

〔3度目の発症の経緯と重粒子線治療の選択〕
3度目のがんについては、ラジオ波焼灼や外科手術にはリスクがあるので、外科医、内科医、放射線医の各専門医の先生にセカンドオピニオンを伺い、思案の上、重粒子線治療の選択した。

挿入画 闘病10年・患者を生きる_53度目の発がんについては、2011年春でしたが、その数か月前から腫瘍マーカー(PIVKA-Ⅱ)が上昇し、これは、発がんの兆候かもしれないと思いましたが、やはり、次のCT検診で肝がんの発症とわかりました。3度目のがんも、ウイルスが消える以前からがんの“芽”のようなものが潜在していたのだと推測しております。早速に、複数の専門医のご意見を参考に、あれこれ思案の結果、最終的に先進医療に指定されている、身体に優しい重粒子線治療を選びました。この治療は先進医療に指定されていますが、症例としてはそんなに多くはないので、皆さんのご参考までに少し詳しく述べてみます。

この3度目のがんは、肝右葉表面(S5 部位、2.1㎝径)に現れたのですが、あらためて複数の先生に、セカンドオピニオンとして、私の事例について外科医、内科医、放射線医の各専門医の先生から夫々手術、ラジオ波焼灼(RFA)、放射線療法など治療法の長所、短所を詳しく聞きました。どの先生も、比較的小さいので、切除、ラジオ波焼灼共に選択可能とのこと、しかし、手術はやり易い位置だが、開腹処置の全身へのダメージは避けられない、ラジオ波焼灼は肝表面のため、やや難しく、播種(患部細胞のばらまき)の恐れがあるし、血流の多い場所なので焼灼不足になり易く、手技に依存し、注意を要するとのことであった。動脈塞栓とラジオ波焼灼を組みあわせた治療が望ましいとも云われました。それでは先進治療の重粒子線治療はどうかと、こちらからあえて聞きました。すると、どの先生も、保険を適用できないし、限られた病院でしか出来なので、あえて勧めなかったが、高齢、病歴、患部位置などを勘案すると、身体に優しい重粒子線治療は医学的に一つのよい選択肢であり、患者の事情が許せば適用を検討してみる価値はあるとの意見でした。(図5参照)。

これらの各専門の先生方の意見と、私の場合、過去の手術、ラジオ波焼灼の身体への負担が重かったことを思い出し、日頃、体は頑健な方ではないので、体へのダメージの累積を考慮し、早速に“重粒子線医科学センター病院”に問い合わせ、受診しました。診断の結果は、私の今回の肝がんは重粒子線治療がやり易い場所で、充分適用可能とのこと、又、この治療は“先進治療”に指定されており、重粒子線照射処置費そのものは保険適用外であるが、その他の検査費や入院費などの付帯治療費は通常の健康保険適用ができるとの説明がありました。そして、いつも待ちが多いのですが、たまたキャンセルがあって、今なら治療枠が一つ空いたので、待たずに施療ができますと云われました。いろいろ思案しましたが、「渡りに舟」と、思い切って重粒子線治療に踏み切ることにしました。

〔先進医療・重粒子線治療の体験〕挿入画 闘病10年・患者を生きる_6
  照射時は痛くもかゆくもなく、体に優しい治療法、治療効果もよく、治療後の副作用は軽微であった。

重粒子線治療の体験をやや詳しく述べ、皆さんの参考に供したいと思います。
一言でいえば、身体に優しい治療法でした。自分の体験に照らして手術やラジオ波焼灼に比べ、身体への負担は格段に少なかったと云えます。敢えて難点を云えば、治療効果の確認に時間がかかることでした。CT画像上のがん痕跡の縮小と腫瘍マーカー値の減少(図6)は明瞭でしたが、CT画像上で患部の痕跡が全く見えなくなるのに3年ぐらいかかりました。(図7=右下写真、患部は白丸印の中央)。

3番目の肝がんの重粒子線治療の経過を大雑把に云えば、半年で患部痕跡径は半減、1年後5分の1位に縮小(図7左下写真)、2年後で痕跡が何とか見える点程度に縮小し(図7=右上写真)、3年後に痕跡も見えない状態になりました(図7=右下写真)。主治医によると、重粒子線照射時にがん細胞のDNAが破壊されて機能を失っても、細胞殻の縮小・消滅には日数がかかるので、手術やラジオ波治療のように治療結果を治療直後では判定できず、CT画像上での細胞殻消滅の確認には年単位の期間がかかるとのことでした。

重粒子線治療CT画像

それでは、実際に受けた治療処置について述べます。

肝臓の場合、最近の治療技術の進歩により、第一日目に正面方向と横方向から各1回、二日目に同様に各1回、2日間に亘って合計4回照射をおこないました。(これは主治医によると総照射量48Grayになるそうです。)実際の照射時間は1回当たり10 分前後ですが、装置内の体位固定時間は20~30 分です。以前は16回も照射していたそうです。今は改善され肝臓治療は照射回数が最も少ないそうです。(他の病気では、今でも何週間にもわたって10 回~20 回行われている場合も多いようです。)

次に副作用(又は、間接的な影響)について述べます。
患部位置、状況により副作用もいろいろのようですが、私の場合、施療直後では日焼け様のピンク色の皮膚症状が出て、日を経るごとに黒ずんできて違和感と微痛がある程度でした。施療直後よりは日数を経てから遅発的に強くなるようで、1 ケ月半後に最も強くなりその後治まりました。
ところが、数ヶ月後の8月初旬から左胸皮膚(照射位置とは反対側)と左背中にひどい疱疹が出てきました。びっくりして皮膚科を受診すると、“帯状疱疹”との診断で、抗ウイルス薬で治療し1ヶ月ぐらいで治癒しました。皮膚科の主治医によると、肝臓治療とは直接の関連はないと思うが、治療の影響で体力や免疫力が低下し、背景的に発症のきっかけになったかもしれないとのことでした。主治医によると、私の場合は患部が肝表面で皮膚と肋骨が近接しているので、皮膚と肋骨に一定の重粒子線通過ダメージがあり、皮膚症状と肋骨局部の脆弱化を注意しなければならないとのことでした。

〔4度目の治療・ラジオ波焼灼治療の体験〕
4度目の肝がんは、2ヵ所に発症、夫々他の臓器が近接しているので、人口腹水注入により患部を離して、ラジオ波焼灼を行う。

4度目の肝がんは、2ヵ所同時に発がんしました。二つの病院にセカンドオピニオン受診しましたが、意見は分かれました。ある専門医は、それぞれ、肺や大腸が近接しているので、ラジオ波焼灼は難度が高く、外科切除が第1選択との意見であり、他の専門医は、難度は高いが、工夫すれば、ラジオ波焼灼可能との意見でありました。主治医も後者と同意見でありました。結論として、人口腹水を注入し、近接する臓器を離反させた後、穿刺することでラジオ波焼灼治療を無事行うことができました。この治療では、7年前のラジオ波焼灼治療に比べ、治療の際の痛みや、治療後の辛さが軽く、穿刺の 方法や麻酔のやり方が進歩したことを実感しました。退院後も数週間で体調は平常に回復しました。図8は、二つの腫瘍のラジオ波焼灼治療前と治療翌日の患部のCT画像であります。

ラジオ波焼灼治療CT画像

このCT画像のように、ラジオ波焼灼治療は一応奏功したのですが、今後どのような経過になるのか、予断はできません。前述しました経過観察画像検査を続ける必要があります。

以上、私の治療体験の大筋を述べました。長い療養の中で、数え切れない程の治療体験場面が思い起こされます。これらのお話の方が同病の皆さんには参考になるのかもしれませんが、ここでは紙数がなく、割愛いたします。 夫々の治療場面の逸話については、別冊「肝太郎の療養体験逸話集」(肝太郎は患者としての私のニックネーム)の中に記述しました。千葉肝臓友の会のホームページにも投稿しておりますのでご覧頂ければ幸いです。

下線部をクリックすれば開きます。→ 別冊「肝太郎の療養体験逸話集」

(以上)