「肝太郎の治療体験逸話集」ある肝炎・肝がん患者の30年治療物語(付録)

肝太郎 

◎私は30年ほど前に肝炎を発症し、その病気の根源であるC型肝炎ウイルスを排除するための長い闘病体験をしました。又、それに起因する三度の肝がんを体験しました。その都度、夫々異なる治療法で救われました。これを振り返りある肝炎・肝がん患者の30年治療物語」~肝がんを三度発症、其々異なる治療で救われ、ウイルス駆除も奏功したが、なお予後の経過観察は欠かせない~ をまとめ、患者会集合イベントや医療関係の大学での特別講義の機会に発表しました。

長年の肝臓病治療を通じて、苦しかったこと、嬉しかったこと、多くの体験をしました。医療の実態についてもいろいろ感ずるところがありました。上記体験記では、遭遇した逸話をいちいち述べると冗長になってしまいますので割愛しました。その後、同病患者や医療従事者の方々には、私の体験逸話もご参考になるのではと思い、私の体験した多くの逸話の中から抜粋し別冊として「肝太郎の治療体験逸話集」(抜粋)をまとめました。(肝太郎は患者としての筆名です)。 皆様の、特に同病の患者さんのご参考になれば幸いです。

尚、別記事、ある肝炎・肝がん患者の30年治療物語」 に興味のある方は、タイトル部/下線部分を“クリック”して頂ければPDFファイルが開きますので、ご一読ください。

エピソード1:~MRI検査でよい結果で安心していたら、3ヶ月後の超音波検査で肝がんを告知された~ 

2006年の夏のことであった。その頃、かかりつけ医の病院で肝炎治療をしていた。この病院にはMRI検査装置がないので、主治医の勧めで、ある中規模病院で肝臓のMRI検査を受けたが、診断結果は異常ありませんと、と云われ安心していた。ところが、3ヶ月も経たない10月ごろかかりつけ医の病院で、念のため、超音波(エコー)検査をしましたところ、直径1.8cmの腫瘍らしき影が見つかり、半信半疑で驚きながら、別の中規模病院で確認のCT検査を受けたら肝がんとの診断であった。これが私の初回の肝がんの発見の経緯であった。 ゼロから3ヶ月で急に1.8cmの腫瘍ができるのは、通常は考え難いという。3ヶ月前の診断は何であったのか? 未だに疑問のままである。

いずれにしても、一つの画像検査だけを100%信じて安心してはいけないことを、このとき体験した。かかりつけ医に聞くと、画像検査では、そのようなことは、時にはあり得るとのことであった。その後、いろいろな医学書を読んで、あり得る話であることが理解できた。つまり、CT、MRI、エコー検査は一長一短があり、一つの検査で腫瘍が見つからず、他の検査では見つかることはあるという。医学書を調べてみると、エコー検査では、肝臓の3つの隅は腫瘍が発見しにいとか、横隔膜の直下の位置は死角となり判断しにくい、と書いてあった。又、最近のMRI検査では、EBOと呼ぶ高性能の造影剤が使われ、格段に検出力が上がったが、他方、映った“影”がすべてがんとは限らず、その鑑別が必要と言われている。更には、より小さい“影”を検知した場合、その後年月を経てがんに至るケースもあり、発がんを予知する性能が向上しているようである。 いずれにしても、診断結果は、検査装置の差、医師の解読の経験・技量に依存する部分もなくはないようである。

エピソード2:~手術かラジオ波焼灼術か迷う、セカンドオピニオンを聞き手術を選択した~

最初に主治医から画像診断によりがんの告知を受けた時には、正直ショックを受けた。一方で肝炎の病歴から肝がんになり易い背景があり、とうとうやってきたか、という思いもあった。当時、ラジオ波焼灼治療が普及しつつあり、身体に優しいと新聞記事などで話題になっていたので、いろいろ調べてみたが、状況によりリスクもあるとのことであった。私の場合に適しているのか、どうかははっきりしなかった。そこで、肝臓の専門内科医、外科医からセカンドオピニオンを聞くことにした。その結果、私の場合は外科手術がよいことが判った。つまり、がんは肝臓の左葉の裏側(S2部位)にあって、心臓や胃が近接しているとのことであった。又、肝臓の表面に少し突出しており、ラジオ波焼灼に適した場所ではないという。腫瘍の大きさは比較的小さいので処置はしやすいがラジオ波治療より手術がよいと3人の医師から同じことを言われた。

又、当時、ラジオ波焼灼はかなり普及していたが、医学雑誌などの記事では、この治療法では病院の症例経験や専門医の手技に差があり、その選択が大事であると、書いてあった。いろいろ思案したが、複数のセカンドオピニオンに従い外科切除を選択した。セカンドオピニオンを聞いた際の各先生の説明は微妙に違っており、腫瘍の状態を理解するのに大いに役立ったし、納得して手術を受ける気持ちになったのを記憶している。いずれにしても、治療の選択を迫られたときは、医療情報を調べることと、セカンドオピニオンを聞いて判断することが大事であると思った。

エピソード3:~手術入院中の院長先生の励ましの言葉と握手に元気をもらった~

これは最初の手術のための入院の時の話です。あるがんセンターでお世話になったのですが、初めての大手術ということで、手術前に不安な気持ちで一杯であった。

高年齢でもあるし、開腹手術は大丈夫かなと思っておりましたところ、手術の前の日に院長先生がふらっとやって来られて、「大丈夫ですから、頑張ってください」という一言と、握手をして頂いた。非常に不安な心が急に元気になるというか、励まされて、感激をした。最近は何事も事務的に扱う先生の多い中で、こういう院長先生もおられるのかと感心した。当時のこのがんセンター病院の院長先生は私だけにされたのではなく、皆さんにされているのだそうだが、私は非常に感激して、力が出たことを今も鮮明に覚えている。

エピソード4:~病院選びの紆余曲折、手術入院中、退院後の想定外のいろいろ~

先ず、初回の肝がんの際、手術するための病院選びで一苦労があった。近所のCT検査をした中規模病院ならすぐ手術はできるということだったが、肝臓の手術症例実績はあまり多くないようなので、もう少し実績のある大学病院か、がんセンターのほうがよいかと思い、先ず、第一候補と思った大学病院に打診してみると、当時2006年11月終わりであったが、入院患者が混んでいて、翌年2月になるという。3ヶ月も待つのは如何なものかと、がんセンターを受診し、聞いてみると、年内12月中旬には手術入院可能という。できるだけ早く施療した方がよいと考え、このがんセンターを選択した。

次に、いざ入院してみると、手術前に数日間、再度、超音波、CT、MRIの検査が立て続けに行われ、これは病院を変わった場合、通常行われていることであるが、かなり疲れたのを覚えている。入院して数日後に想定外のことがあった。この部屋に入院して下さいと言われ、個室形式の部屋を指定されたので、これはよさそうだと思っていたら、数日後に、一方的に部屋を替わっていただきますと、相部屋に変更になった。何の説明もなく、事務的に、半ば強制的に言い渡された。何か背景がありそうだったが、一言説明が聞きたかった。患者の心理を配慮しない取扱には違和感を覚えた。

更に、退院時にも十分な説明がなく、手術後10日(年末が迫っていたせいか?)で退院してくださいといわれた。私の場合、高齢でもあり、もともと体力のあるほうではないので、手術後の体調回復が思わしくなく、自分では退院は時期尚早で、厳しいのではないかとの実感だったので、驚きながら、しぶしぶ12月28日に退院した。果たせるかな、退院のあくる日に、手術部位の縫合部から想定外の膿のような液が出てきて、急遽この病院に駆け込んだが、主治医が留守にて、的確な対応ができず、あれこれ持って回った挙句に、やっと他の当直医師に治療して頂いた。この後、正月休みの期間は病院にも行けず、きわめて心細い思いをした。退院後も手術部位は痛むし、酷い下痢症状が2週間ぐらい続き、今でもこの時を思い出すと、苦しかった記憶がよみがえってくる。本人としては、入院期間が短過ぎると感じた。病院としては、できるだけ多くの患者を捌くため、入院期間を無理して短縮せざるを得ない事情があったのかもしれないと、憶測した。私にとっては、最初の大手術であり、開腹手術の全身への負担、ダメージは大きく、できれば、2度とやりたくないと思った。患部の切除そのものは基本的に適切におこなわれたと思うが、高齢でもあり、体力が充分なかったのか、私の場合、体調回復には約6ヶ月を要した。

エピソード5:~2回目の肝がんは手術よりもラジオ波焼灼術を選択~

2008年の秋の頃、定期的に受けていたCT検査で2度目の肝がんが見つかった。直径1.5cmの早期のもので、右葉にあり、初回のものとは別の部位(S8)であった。異所再発といって転移したがんではなく、肝炎患者では、肝臓の下地ががんになりやすい状態があり、異所再発が多いという。主治医からは、肝臓表面から少し内部にあるので、初回と状況が異なり、ラジオ波焼灼治療がよい言われた。念のため、他の外科医と内科医にセカンドオピニオンを聞くとほぼ同様の意見であった。ラジオ波焼灼治療は身体に優しい治療法ということで、その頃、更に普及し、多くの病院で症例が増え、小径の肝がんの標準的治療法になりつつあったので、迷わずラジオ波焼灼治療を選択した。それで、初回のがんを手術したがんセンターとは別の大学病院で施療した。

エピソード6:~ラジオ波焼灼治療では回復は意外に長引き、入院は3週間になってしまった~

医学書、医療本を調べると、この治療法は手術より身体に優しく、入院期間も短く、普通は1週間以内、短い人場合は数日で退院する患者も多いと書いてあった。しかし、私の場合は、施術直後の発熱や痛みが酷く、体調の回復に手間がかかった。発熱が治まるまでに1週間、その後の体調回復に2週間、約3週間でやっと退院できた。何事もやってみなければわからないもので、私の場合は普通のケースよりかなり長い入院を要した。想定外の長い入院であったが、後述のように、病棟医の先生に親切で行き届いたケアを頂いたので、有難く感謝の気持ちで退院した。

エピソード7:~ラジオ波焼灼術の入院中、病棟医の先生の親切な説明とケアに感激~

これは、二回目の肝がん発症の際の模範的なインフォームドコンセントの話です。私は、一般的には、日本ではインフォームドコンセントはまだ充分進んでいないと思っています。しかし、ラジオ波治療の時に、病棟医の女性のT先生にお世話になったのですが、この先生の患者に対する姿勢というか、対応には感心しました。私がラジオ波治療の状態を心配して「ラジオ波で充分“焼け”ましたか」と、色々な質問をしたのですが、病室にノートパソコンを持ち込んで、画像モニターにて親切丁寧に細かところまで説明して頂いたので、状態をよく理解でき、誠にありがたく思った。又、施術後、高熱が続いて苦しかった際は、患者の訴えをよく効いて、適切な処置をしていただいた。大変ありがたく感激したので、退院後にこの先生に感謝の手紙を書きました。一般的に、多くの先生方は、お忙しいので、患者の質問に充分お答えにならない先生も多い中で、このような先生もおられたということで、感心した次第である。

エピソード8:~年末にラジオ波灼術を終えて退院、新年元旦に胆石の激痛に見舞われる~

先に述べたラジオ波焼灼術を年末に終えて退院し、10日もしない翌年元日に突然おなかに激痛を覚え、近所の休日救急診療所で診て貰ったら、胆石痛でしょうと言われ、ラジオ波治療をした大学病院に駆け込んで、鎮痛薬の注射など応急処置と内服薬を処方してもらった。一日たっても直らなければ入院手術も必要かもしれないと救急対応医師に告げられた。幸いにも翌日には痛みは治まり平常に戻った。3日後に主治医に診てもらったが、経過観察は必要だが恐らく治るだろうといわれた。お蔭様でその通りに程なく治まった。ラジオ波焼灼術の波及副反応だったかもしれない。

エピソード9:~胆石痛が治って3ヶ月がたったころ今度は尿路結石痛に襲われた~

エピソード8の胆石症が治って3ヶ月後のある土曜日の朝、酷い腹痛に襲われた。又胆石症の再発かと疑いながら、休日救急診療所に駆け込んだ。どうして、こうも休日ばかりに発作が起こるのか不思議であった。休日診療所の先生はエコーで診察しながら、これは尿路結石でしょう、といわれた。その際、私は過去20数年の間に3回尿路結石を経験しており、今回がそうなら4回目になりますといったら、その先生は、こともなげに私も数回尿路結石の経験がありますとのことであった。ことほどさように尿路結石を経験した人は多いのである。鎮痛剤と結石のすべりがよくなるという薬を飲んだら、一週間程で尿の中に小さい結石を認め解決した。しかし、CTの検査では腎臓には未だ他の結石が存在しているそうである。何かのきっかけで又発作が起こる可能性はあると、気に留めておかなくてはいけない。この結石の発作もラジオ波治療の刺激による、広い意味の波及的反応のようにも思われた。ともあれ、この後は格別の体調不良は起こらず、ラジオ波治療後の回復は手術のときより短く3ヶ月ぐらいで通常の体調に戻った。

エピソード10:~3回目の肝がん発症、セカンドオピニオンを聞き、思案の末、重粒子線治療を選択~

2011年の春、3度目の肝がん発症がわかった。定期CT検査の結果、右葉の表面(S8)部位に直径2.1cmの大きさといわれた。主治医からは治療法の第一候補はラジオ波焼灼であるが、施療には注意が必要な場所であると云われた。そこで、主治医にCT画像電子データと紹介状をつくって頂き、肝臓専門内科のある内科、内科、放射線科それぞれのベテランの肝臓専門の先生方を訪問し、セカンドオピニオンを聞くことにした。関西まで出かけ、肝がん治療では全国屈指の某大学病院を訪ね、ラジオ波治療の先駆者の一人である院長先生のご意見も伺ってきた。今回は右肝臓表面(S5位置)に現れたのだが、私の事例について、各専門医からあらためて手術、ラジオ波焼灼など治療法の一長一短を詳しく聞いた。どの先生も、比較的小さい(約2cm)ので、切除、ラジオ波焼灼共に選択可能とのこと、しかし、手術はやり易い位置だが、開腹処置の全身へのダメージは避けられない、ラジオ波焼灼は肝表面のため、やや難しく、播種(患部細胞のばらまき)の恐れがあるし、血流の多い場所なので焼灼不足になり易く、手技に依存し、注意を要するとのことであった。動脈塞栓後、ラジオ波焼灼する方が望ましいとも云われた。

それでは先進治療の重粒子線治療はどうかと、こちらから聞いてみた。すると、どの先生も、自分の所属病院ではできないし、保険外治療なので言及しなかったが、高齢、病歴、患部位置などを勘案すると、身体に優しい重粒子線治療は適切であり、保険が適用できないが、事情が許せば医学的には選択肢の一つである、との意見だった。過去の手術、ラジオ波焼灼では身体へのダメージがかなり厳しかったことも考慮し、早速に重粒子線医科学センター病院に問い合わせ、受診した。診断の結果、適用可能であるが、治療枠はいっぱいで、実施には1∼2ヶ月後になりそうということであった。しかし、2回目に相談受診した際には、たまたま最近の治療枠の一つにキャンセルがあり治療枠が空いたので、今、決断すれば、待たずに施療ができます、とのことであった。いろいろ思案したが、″渡りに舟″と、思い切って重粒子線治療に踏み切ることにした。詳しくは次のエピソードに述べるが、この治療の施療後、腫瘍マーカーの数値は正常値まで減少し、腫瘍の大きさも月日の経過とともに縮小し、4年を経た現在では、CT画像上でその痕跡が見えないぐらいになっている。有難いことに副作用は殆どなかったし、主治医によれば、重粒子線治療の経過は順調とのことである。 しいて難点と云えば、費用負担と治療効果の確認に時間がかかることである。主治医によると、腫瘍マーカー値は逐月好転し、正常化しており、好ましい経過であるとのこと、CT画像上でも予想通りの所見ではあるが、患部の縮小には時間を要するので、治癒の確認には通常半年から1年を要し、状況によりさらに長い期間かかる場合もあるという。

エピソード11:~重粒子線治療は、事前準備はいろいろあったが、身体に最も優しい治療であった~

入院中の治療の場面は印象深かった。場面を思い出して記す。身体の優しい治療とはいっても、入院中は何かと大変であった。4∼5日間の入院が2回必要であり、血液検査、CT、MRI,エコー検査、身体の型取り、患部近傍へのイリジュウムマーカーの埋め込み(肝生検のような針刺による)、装置内での位置決めリハーサル、本番照射などが次から次へとおこなわれた。それから、照射の前準備としての絶食と下剤による胃腸内容物の排出、照射装置内での数十分間の体位固定の我慢など、結構辛い思いをした。私の場合、照射のリハーサル時に体調不良だったせいか、手足がしびれ、貧血状態に陥り一時中断せざるを得なくなり、先生、看護師さんにご心配やご迷惑をかけたりした。但し、本番照射は問題なく済んだ。“切ったり”、“焼いたり”しないので、痛くも痒くもなく、その日だけ軽い微熱が出たが、胃腸症状などはなく、全体としては期待通りの体に優しい治療法だった。肝臓の場合、最近の治療技術の進歩により、第一日目に正面方向と横方向から各1回、二日目に同様に各1回、2日間に亘って合計4回照射をおこなうのが標準治療となっている。一回の実際の照射時間は10分前後ですが、装置内の体位固定時間は20~30分です。以前は16回も照射していたそうだが、今は改善され肝臓治療は照射回数が最も少ないという。(他の病気では、今でも何週間にもわたって10回~20回おこなっている場合も多いようである。)

エピソード12:~重粒子線治療後の副作用は局部的皮膚症状と肋骨の軽い痛みぐらいであった~

この治療の副作用は基本的に重篤なものは少ないと言われている。

個人差もあり、患部位置、状況により副作用もいろいろのようだが、私の場合は患部が肝表面で皮膚と肋骨が近接しているので、皮膚と肋骨に一定の重粒子線通過ダメージがあり、局部の皮膚症状と肋骨の脆弱化が起こり易く、それも施療直後よりは日数を経てから遅発的に起こってくるといわれた。施療直後では日焼け様のピンク色の炎症が出て、日を経るごとに黒ずんできて違和感があった。炎症、肋骨の違和感・軽痛は1ケ月半後に最も強くなりその後、徐々に治っていった。

エピソード13:~重粒子線治療では、主治医や看護師さんが親切で行き届いたケアを頂き感激した~

重粒子センター病院では気持ちよく入院生活を過ごせた。この病院の患者対応は大変良く、主治医や看護師さんから親切な説明や行き届いたケアをして頂いたからである。殊に主治医から懇切丁寧な説明を受けられたことは真に有り難く感謝している。過去に多くの入院治療を経験したが、私にとって満足度最高の病院であった。

エピソード14:~重粒子線治療の数ヵ月後に帯状疱疹に見舞われた~

重粒子線施療3ヶ月後、2011年8月初旬から左胸、左背中にひどい疱疹が出てきた。びっくりして皮膚科を受診すると、典型的な″帯状疱疹″との診断でした。抗ウイルス剤と鎮痛剤を服用したが、最初の一週間は激痛で夜も眠れず、ただひたすら忍耐の日々を過ごした。その後も痛みは約1ケ月続き、9月初旬にやっと治まった。″帯状疱疹″は幼少時にかかった″水疱瘡″ウイルスが神経細胞に潜伏していて、免疫力低下、疲れなどをきっかけに活性化し引き起こされるよくある病気だそうである。皮膚科の主治医によると、肝臓の治療とは直接の関連はないと思うが、肝臓治療の影響で体力や免疫力が低下し、背景的に発症のきっかけになった可能性は否定できないとのことであった。そういえば、退院後の注意書の中には、照射部皮膚症状などに加えて、施療後数カ月は全身の抵抗力が落ち、疲労しやすいので、規則正しい生活をするようにと書いてあった。

エピソード15:~肝がんの腫瘍マーカーは参考指標ではあるが、がんの発症とイコールではない~

血液検査の中には肝臓腫瘍マーカーとして、AFPとPIVKAⅡ(ピブカツー)という項目があり、がんができると値が上昇すると云われている。ただ、100%がんの有無とつながっている訳ではない。私の場合、AFPは正常値内で推移していて殆ど変化せず、がんの指標にはならなかった。PVKAⅡの方は、1回目は正常値限界40より80に上昇したので、直ちにエコー検査をしてがんが見つかった。2回目は50程度でそれほど上昇しなかったのだが、次の定期画像検査でがんが発見された。ところが、3回目は徐々に上昇、80台が半年以上続いても画像検査でがんは発見できず、その後、さらに100に上昇し3カ月後に発見された。そして、さらに、200以上に急上昇した。私の場合、PVKAⅡは警告指標として一定の意味はあったが、その時の絶対値だけでは、必ずしもがんの有無を判別できず、その後の画像診断により発見された。他方、重粒子線施療前のPIVKAⅡが200台だったが施療後逐月半減して、3ケ月後には正常値内の30台に下がった。現在は20前後の値で推移している。私の場合、治療効果の評価指標としては有用であった。従って、この二つの腫瘍マーカーは、夫々独立の動向を示すので、両方を検査した方が役に立つと思う。

エピソード16:~CT検査の前の絶食については、何故か病院により異なる不思議~

7~8年前にセカンドオピニオンを聞きにいった先進的な病院で、腫瘍マーカーが高いということでCT検査を受けた。この際は、当日、食事も水も通常通り飲んできてよろしいということであり、むしろ水は多く飲んできたほうがよいとのことであった。私は今までの病院では、検査当日は絶食で水も飲まないで来て下さいと言われていたので、不思議であった。この理由をこの病院の看護師さんに聞いてみた。すると、空腹や脱水状態ではむしろ気分が悪くなる人が多く、検査前に食事や水を摂った方が、患者が気持ちよく検査が受けられることが判ったので、肝臓CTの場合、そうしているという。今までの病院では、食事をしてくると検査中に気分が悪くなった場合、吐く事があるので絶食するのであるといわれた。それぞれ一理あるが、かなり認識が違うことを印象深く聞いた。果たせるかな、最近は、水は摂った方がよいという病院が多くなったが、しかし、絶食を指示する病院はまだ多い。知見が一般化するのに時間がかかるということなのか? いずれにしても、その後、別の病院で、肝臓の検査の場合は食事も水も通常通り摂ってよいという病院があることが分かった。最初の病院のやり方が一般化してきたようである。(但し、胃の検査の場合は、これは当てはまらない。)

エピソード17:~C型肝炎治療では肝臓専門医の先生方から、ご意見を拝聴し治療を続けた~

これはC型肝炎インターフェロン治療のエピソードである。2010年の春頃、インターフェロン・リバビリン治療によりウイルスはようやく陰性化はしたが、保険適用による治療の終了時期数か月に迫っていた。このまま終了すると、医療文献によれば“再燃”して、治癒に至らない可能性は極めて大であると書いてあった。果たせるかな、複数の肝臓専門医の先生にセカンドオピニオンを聞くと、予定通り治療を終了した場合、私のようなケースでは(血小板減少の為のインターフェロン投与量の減量もあり、途中肝がん治療の為の中断などもあり、治療開始後ウイルス陰性化が遅い状況)では、すべての先生から異口同音に、ウイルスは再燃する可能性が高く、ウイルスを消し切る(SVR=持続的ウイルス陰性)のは難しいだろうと言われた。その時、折角陰性化しているので、何とか治癒に至る方法はないものかと、講演会で質問をしたり、他の病院の専門医にセカンドオピニオン受診をして、複数のご意見を頂いた。それを総合すると、どうしてもウイルス駆除を目指したければ、治療を継続すると治癒に至る可能性はなくはないが、所定の期間(72週)後は、保険適用はできないということであった。ウイルス陰性化後、1~1年半治療を継続すれば、治癒に至る可能性はあるとの意見もあった。そこで、どうするかについて紆余曲折があったが、どうしても治したい一心で医療費を自己負担してでも医療を続けることにした。その後、詳細は省くが、粘りに粘って治療を続けたことが奏功し、著効に至ったわけである。多くの先生のご意見と柔軟に対応頂いた主治医の先生のお蔭である。

エピソード18:~遠方の病院から電子メールで貴重な治療の助言を頂く、親切な先生に感激~

エピソード17に述べた通り、インターフェロン治療を延長してほどなく、治療の期間延長をどのくらい考えればよいかを複数の肝臓専門の先生にセカンドオピニオンをお伺いし、ご意見を頂いた。だだ、意見は同じではなく、且つ根拠のある確実な期間は明言できないとのことであった

いろいろ思案しながら専門医学書を調べてみると、ある肝臓専門医学書中に九州の医療センターのS先生が“アコーディオンインデックス”という指標を使って治療期間を決めればよいと発表されていることを知った。ウイルスが消えるまでのインターフェロン投与量をベースにした(著効に至るための)必要な投与期間を判定する考え方であった。 投与量を減量した私のケースでは有用な方法であり、その論拠は真に納得できるものであった。しかし、九州の病院の先生なので、受診は難しく、病院のアドレスにEメールを送り、おそるおそるアドバイスをお願いしてみた。この先生は親切で前向きな方で、多忙にもかかわらず、早速に私の治療条件や血液検査結果に基づいて、先生の開発された独特の公式により治療すべき期間をメールでご教示下さった。従って、この先生の情報を基に主治医と相談の上、治療を継続し、治療期間はかかったが、著効(SVR=ウイルス駆除)を達成することができた。

お蔭様で、多くの先生から消えないだろうといわれた肝炎ウイルスは消えてから5年以上になる。この先生は私にとって恩人の一人で、有難い事であり感激した。感謝の気持ちを込めて感謝の手紙を送ったが、機会があれば、是非お会いして御礼を申し上げたいと思っている。いずれにしても、C型肝炎治療では、指折り数えると、主治医を含め5人ぐらいの専門医の先生方の貴重なご意見のお蔭で治療が奏功したと云える。感謝の念で一杯である。

(終り)

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